データ
資生堂アートギャラリー
住所:〒104-0061東京都中央区銀座8-8-3 資生堂パーラービル
電話:03-3571-7720
http://www.shiseido.co.jp/index.htm
資生堂ギャラリー「亜細亜散歩」 © shiseido
●沿革
| 1882年 | 福原有信、洋風調剤薬局として「資生堂」を創業 |
| 1919年 | 初代社長・福原信三、資生堂化粧品部(現ザ・ギンザビル) 2階に「陳列場」として「資生堂 ギャラリー」を開設(後、戦争のため一時中断) |
| (中略) | |
| 1997年 | 資生堂パーラービルの改装のため、ギャラリー閉鎖 |
| 2000年 | ザ・ギンザアートスペース閉鎖 |
| 2001年 | 新装資生堂パーラービル地下に新・資生堂ギャラリー開設
|
●建物
○資生堂ギャラリー
設計:谷口吉生
床面積:110・
住所:〒104-0061東京都中央区銀座8-8-3 資生堂パーラービル
電話:03-3571-7720
元来、画壇系の作家を中心に取り上げてきたため、内装はじゅうたん敷きに障子窓、大きな一枚板のベンチを配した、山種美術館に似たクラシックで気品溢れる空間であったが、1993年に第四次椿会メンバーを現代美術作家に移行してから、現代美術の展示時にはじゅうたんを剥がしてコンクリートを出し、障子を仮設の壁で塞いでいた。そのため、古くからの来館者はコンクリートに戸惑い、工事・改装中だと思う一方、現代美術の展示を見慣れた若い客層は、従来のギャラリーの姿を見て改装したのかと驚く。
来年オープン予定の新しいギャラリーは、床面積が120・で以前とあまり変わらないが、地下になり天井が5mになるため容量が倍増し、インスタレーションなどにも適する。
●方針
ギャラリーの貸出は、開廊当時に福原信三が若手作家や前衛芸術家に無料の作品発表の場を提供しようとしたことに始まる。自ら作家に会い、直接作品を見た上で、納得したものにしかギャラリーを貸さないという信三の姿勢は、現在のギャラリー運営委員会にもしっかりと受け継がれている。信三は個展の作品が売れ残ると自分が最後に一点買い上げていたが、1974年の第三次椿会展からは出品作品を毎回すべて購入するという方針がきまり、現在も続く。同様に1975年から1995年にかけて開催された現代工芸展の作品も購入した。現在それぞれの展覧会からのコレクションが250点ずつほどあり、それらは掛川のアートハウスに収蔵されている。
1950年代中頃から20年近く資生堂ギャラリーの顧問をしていた美術評論家の今泉篤男氏が製作した第一回現代工芸展の案内状に「日本の中堅作家を集めて」とあるように、大家ではなくあくまで中堅の、20〜30年後に美術史のなかで確実に位置付けられるであろう作家達と、同年代としてやっていくというのがギャラリー運営上のひとつのポリシーとして挙げられる。
2001年には新装資生堂ギャラリーがオープンし、第五次椿会が開始される。かつてのような画壇や団体展が無くなり、個展が作家の発表の場として定着した今、あえてグループ展を開催することの意味を問いつつ、現代美術を中心に活動をしてゆく。貸画廊業務の継続は未定。作品販売は基本的に行っていない。
●運営形態
以前は、ギャラリーは宣伝部が、アートスペースはザ・ギンザがそれぞれ管轄していたが、現・資生堂会長の福原義春が企業メセナ協議会の設立を宣言したことを契機に、自社内のメセナ関係を担当する部署として「企業文化部」が新設された。この部署の活動領域として次の4種類がある。
| 1 | 福祉・地域社会活動 |
| 2 | 学術支援活動 |
| 3 | サク セスフル エイジング活動 |
| 4 | 芸術文化支援(メセナ)活動 |
●職員
企業文化部は23〜24名から成り、うち掛川にいる職員は5〜6名。ギャラリーの受付や監視はアルバイトを雇い、掛川ではアルバイトや現地従業員が実質業務に従事している。ギャラリーとアートスペースはそれぞれキュレーターと管理職が一人ずつ担当していた。会社の組織としては特別職ではないので、他の部署同様に人事異動や転勤があり、その度に職員が入れ替わる。
●活動内容
○資生堂ギャラリー
休廊以前は通常、年間4本程度(約4ヵ月)の企画展を行い、それ以外には貸画廊業務をしていた。年間2万5000人ほどの入場者があったが、貸画廊時は借り手によって大きなばらつきがあった。貸料金は一日7万円の日曜休廊で一週間42万円。銀座で110・の貸料金としては破格の安さであったが、収支の関係で企業文化部の収入ではなかった。2001年以降の貸画廊業務は検討中。第五次椿会は5年間年1回の展覧会を行う予定。
○ザ・ギンザアートスペース
年間8〜9本の企画展を行い、1本につき3000〜4000人の入場があったので、年間平均入場者数としては3万人程度。主にデザイン、写真、ファッションなどのサブカルチャーを中心とした展覧会を催していた。海外から作家を招待して展覧会をする場合は、作家へのギャラの支払はせず、必要経費や作家滞在費、航空運賃、作品輸送費のみを資生堂が負担していた。2000年7月、第20回オマージュ滝口修造・中川幸夫展「献花」オリーブを最後に閉鎖。
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○アートハウス 500点近いコレクションを収蔵するこの美術館では、収蔵品による企画展や資生堂製品、広告の展示を行っている。1996年から、世界初の超高精彩画像を取り入れた「SCANシステム」を導入し、収蔵作品のデジタル画像が簡単に検索・観賞できる。コレクションの貸出はするが、転売はしていない。オリジナル・ミュージアムグッズとしてはポストカードなどがある。入館は無料。
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○作家の創作活動、外部の展覧会の助成
年間200件ほどの助成希望の申し入れがあり、うち100件ほどに実際に助成をしている。得に決まった応募フォームがあるわけではなく、直接企業文化部を訪れる作家もいれは、遠隔地のひとは郵送で申し込む。
助成を受けている作家はダンス、音楽、演劇なと様々であるが、展覧会の助成が多いため美術の比重が大きい。一件あたりの助成額はばらばらで、10万円から100万円弱。ダンスや演劇の場合はチケット購入のみということもある。
近年の傾向として高額助成の単独協賛は好まれず、例えば300万円の助成希望額を6社で50万円ずつ負担するなどの「相乗り」助成が増えている。
(データ:岡田伊央)
